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2004年 HANAの「歩き遍路日記」 − 1日目
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11月18日(木) | |||||
18:30 | 出発 | 雨が結構本降りになってきたので傘は持たずポンチョを着る。予報では着いた頃には四国でも雨は降らないようなのでレインパンツは荷物から出す。早めに出て東京駅でゆっくり夕食を食べてからバスに乗ろうと思っていたのに、結局ぎりぎりになってしまった。 | |||
20:30 | 東京駅発 (夜行バス) |
大丸地下でお弁当とワインの小瓶を買って、慌しくバスに乗り込み、慌しく食べる。ほとんどの人は乗ったとたん、寝る体勢という感じ。 バスを待っている時、金剛杖を持っている人が私のほかに2人いて、一人は若い女性、一人はおじさん。女性が「どこのお寺から回るんですか」と声をかけてくれて少し話した。バスに乗ってみたら、偶然にもこの3人が同じ列だった。 深夜、富士川SAで休憩のあとバス内は消灯。バスはリクライニングで足も伸ばせるが、ゆれや音が気になって熟睡できなかった。「気流の悪いところを飛んでる飛行機みたいだな」と、思い始めたら、そんな状況にいるような気がして落ち着かなくなった。眠れるようにとワインを飲んだのも頭が痛くなって逆効果だった。 |
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11月19日(金) | |||||
05:45 | 徳島駅着 | 徳島着。バスが30分遅れたので、予定していた48分発の列車に乗れず。夜行バスで一緒だった女性と次の列車を駅で一時間ほど待つことに。荷物をベンチに置いて交代でトイレに行き顔を洗ったり、彼女が持っていたおにぎりをくれて食べた。まだ外は暗い時間。四国入りして、ひとりでいきなりこれじゃ心細かった。彼女がいてくれて助かった。 彼女は職場が東京駅の近くだそうで、今日は退社後その足でバスに乗ったとか。もしかしたら、今月いっぱいで会社をやめて中国へ行くかも、なんていっている。 彼女は今回19番立江寺からスタートということで「立江」駅で降りたが、それまでの間、いろいろおしゃべり。はじめて会ったのに、そんな気がしない、いつかどこかで会ったことのあるような感じの人だった。写真を取りあい、メアド交換して別れた。 |
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08:40 | 日和佐 (ひわさ) 通過 |
日和佐は23番薬王寺の最寄駅だ。前回は23番までまわっているから、ここからの道のりが、今回の本当のスタートになるんだな。 などと思いつつも、宿のことが気になってきたので、携帯で26番金剛頂寺近くの民宿に電話してみるが、今日は無理ですね、と言われてしまう。それで、ますます焦り、なんでもいいからとにかく確保だ、と25番津照寺近くで(手持ちの資料で)一番安い旅館に電話し、押さえる。とにかく、今日はこれでひと安心。 事前に宿を確定しておかなかったのは、予約してしまって、もしそこまでたどりつけなかったらいやなので、なるべくその日その日の体の調子をみながら決めていきたいと思ったし、行く前にあまりキッチリとスケジュールを組んでしまいたくない気持ちがあった。 閑散期だから、当日飛び込みでも大丈夫だろうとタカをくくっていたのだが、夜行バスのことですでにつまづいているので(本当は19日(金)出発の夜行バスに乗る予定でいたのだが、直前になってネットで空席を調べてみたら満席だったので急遽18日出発に変更した)、飛び石連休でもあるし、弱気になった。 |
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09:10 | 牟岐 (むぎ) 通過 |
通学の中高生で騒がしかった車内も、みんな降りて静かになり、暖房で暑くなってきたので、着ていたウインドブレーカーとフリースを脱ぎ白衣を着る。髪も三つ編みにまとめる。列車の中でも、少しづつ「おへんろさん」気分は盛り上がる。 同じ車両に白衣のおじさんがいる。日和佐あたりから乗ってきたようだ。おへんろさんだらけというのもイヤだが、誰も居ないというのも心細いので、こんな感じがいい。 |
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海部 (かいふ) 乗り換え |
ここで別の列車に乗り換える。白衣のおじさんが、話し掛けてくる。後姿でもう少し若い印象だったけど、おじいさん、ともいえる年齢77歳の方だった。(でも、最近の70代って「おじいさん」というには若い人も多いので、やはり「おじさん」と呼ぼう。)大阪の人。 おじさんの話。 『四国はもう数え切れないくらい回っている。あんたのような娘と2回まわったこともある。足を悪くしたので(障害者手帳を持っておられた)今はこうして列車やバスも使っているが、以前は全部歩いた。 前は正直、歩きで回ることがなんだか偉いように思ってたこともあった。でも、いまはそんなことはないと思うようになった。回ろうという気持ちが大事なんやから、無理せずバスでも何でも使ったらええ。無理したらあかん。自分のペースで回ったらええんや。』 23番から24番の80kmを歩かずパスしてしまう(まさに今乗っている列車とこれから乗るバスでパスしようとしているところ)ことに、まだ迷いや後ろめたさを感じていた私は、この、おじさんの言葉に救われた。お大師様がこのおじさんの口を通して、「無理せんでええ」と言ってくれたんだと思った。うなずきながら、涙ぐんでしまう。 |
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09:54 | 甲浦(かんのうら) | ここでバスに乗り換え。ここからさらに1時間近く。 おじさんとここからも一緒。 『何度も回っているから、札所のご本尊とは顔なじみ、「おう、またきたか、いうようなもんや」。だから今は、札所ではなく、ところどころにある行き倒れのお遍路さんのお墓をおまいりして供養している。連れ合いも亡くしたので、家に一人でいてもつまらない。大阪では、となり近所の人ともなかなか話す機会がない。こうして時々ふらりと四国へきて、土地の人と話をしたりするほうが楽しい。あんたも自分からどんどん地元の人に話し掛けてみなさい。』 そして、おじさんは室戸岬より手前の何もないようなところでバスを降りていった。 |
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10:45 | バス停大師像前下車 | ここは24番最御崎寺の最寄バス停ではないが、最御崎寺へ行く前に「御蔵洞」へ行ってみたかったのでここで降りる。 昨夜から夜行バス9時間、列車3時間、バス1時間、計13時間も乗り物を乗り継いできた。寝不足で眠いし、片頭痛はするし、朝おにぎり1コで、胃の調子も悪く、おなかが空いているのか減っているのかもよくわからない。 曇り空。海からの冷たい風が気持ちいい。 |
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11:00 | 昼食 レストラン明星(あけのほし) |
幸いバス停のすぐ前にレストランがあったので、とにかく入る。どうせ今日の宿は25番の近くになったので、あとはもう今日は24番のあと約7km先の25番までいければいいのだから、このあたりでゆっくりしていっても大丈夫だ。 他の客は誰もいないし、注文した「海鮮丼」ができるまで少し時間がかかったおかげで、気兼ねせずのびのびと休めた。しかし、体調が悪いので、せっかくの新鮮な「海鮮丼」も、味わうよりは「とにかく食べなきゃ」という感じで無理やり押し込む感じになった。こんな体調で歩けるかしら?頭痛がひどいのでバファリンを飲む。気合じゃ〜! |
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12:00 | 御蔵洞 (みくろど) |
レストランを出たとたん、雨が降り出す。あわててポンチョを着る。数分歩いたところが「御蔵洞」ここは、期待していた場所だったが、期待が大きすぎたせいか、「ふ〜ん」という感じで拍子抜け。(もっと、おどろおどろしい場所かと思ったら、車道からすぐの明るい場所だったので。 でも、もちろん空海がここで修行した頃には、ここに道なんてなくて、人もめったに来ないような不便な場所だったのだろうが。)
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室戸岬 | そこからは車道の下の、海岸沿いの遊歩道のほうを歩く。岩や木々、流木、鳥、石、貝、砂、なにもかもが関東あたりの海とは全く様子が違う。おもしろくて、写真を何枚もとる。 10時間以上乗り物にのってこわばった体が、自然の空気を吸い、歩くことでほぐれていき、体調の悪いのもいつのまにか忘れていた。
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岬の先端まではいかず、登山口から24番へ向かう。車道から山道へ入ったところで、真っ白な猫がどこからともなく現れて、ニャーニャーいいながらまとわりついてきた。四国では道案内をする犬がいるという話はきいたことがあるが、猫もするのか?真っ白い猫というところがまたいいよね。でも、お寺まで先導してくれる気はないらしくて、すぐに止ってしまったので「いっしょに行こうよ」というと、ニャーといってまた少しついてくる。しばらくそんなことをくりかえす。 猫と別れ、歩き出すと、結構急な山道。雨で濡れた落ち葉がすべりそうで怖い。「なんじゃこりゃ〜」と思わずつぶやくと、目の前をサっと、めずらしい蝶が横切る。 なるほどこれが同行二人のお遍路マジック。くじけそうな場面では、すかさず助けが入るようになっているのね。
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13:00 | 24番 最御崎寺 |
1kmもない道だったが乗り物疲れでヘロヘロの身体にはきつかった。そしてとうとう、今回最初の札所、24番・最御崎寺(ほつみさきじ)に到〜着! 山門で思わず声に出して「来たぞ〜!!」。先客はひとりだけ。蛍光黄緑色のカッパを着た若い男性が大師堂で読経を終えたところだった。 私もひととおり参拝を終える。1人なんだから、あわてないでゆっくりやればいいのに、つい焦ってしまう。(団体バス巡礼の後遺症か?) |
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ほかに誰もいないので、納経帳を書いてくれたおじさんが、どこから来たの?一人?えらいね、などといろいろ話してくれる。納経所が混んでいたら、こんなこともないわけで、閑散期ならではだろう。 そして、次へ行こうとしたら、さっそく道がわからなくなった。地図をみても全然わからない。それで、寺にのほうに戻りながら、金剛杖を大師堂に置き忘れていたことに気づいた。やると思ったけど、やっぱりさっそくやったか。 納経所に戻って、さっきの人に道を聞く。そうしたら、すごく丁寧に、25番までの行き方ばかりか、26番のお寺のことまでいろいろと教えてもらった。(25番の本尊は「楫取地蔵」といって漁師の守り仏。26番は通称「西寺」で、ここの24番は「東寺」などなど) 私は、基本的に知らない人と話すのは苦手なので、ふだんはよほどのことがなければ人に道をきいたりしない。迷いそうでも、ぎりぎりまで自力でなんとかしようとする。でも、1日中歩かなければならない、歩き遍路の旅では、道に迷って時間と体力をロスすることを、少しでも避けたいので、できるだけ聞こうと思う。いや、聞かざるを得なくなるだろう。でもそれで、朝会ったおじさんが言ったように「地元の人にこちらから、どんどん話し掛ける」ことにもなるのだろう。 |
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スカイラインへ出たところの大きな公衆トイレで、荷物整理して体勢をたてなおす。雨が降ったり止んだり、ポンチョを着たり脱いだりで、ザックの中やポケットの中がぐちゃぐちゃになってたので。 明日が土曜日ということで不安になってきたので、宿も電話しておさえてしまう。 雨が晴れてきて空が明るくなってきた。ヘアピンカーブの連続のスカイラインは、海が目の前で眺めがよい。車はあまり通らないので、悠々と気分良く下る。 |
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15:40 | 25番・津照寺(しんしょうじ) | 門に入ってから急な階段。さっきの、緑カッパの男性が先客。本堂ではまた一人きりで読経できたが大師堂ではまだこの人が読経中だった。こういう場合、どうしたらいいのかな、先の人が終わるまで待つのがマナーなのかなと思いつつ、とりあえず納め札など納めはじめるが、男性が読んでいるお経は般若心経ではなく、なにやら長ったらしいのでなかなか終わりそうもない。しかたないので、後ろのすみっこの方で邪魔にならないように小さな声で読経しはじめる。 すると、私の読経に気づいて、男性が読経を中断したようだ。あらら、申し訳ないと、そそくさと読経を終え、男性にも一礼して去る。この人は修行僧かなにかなのかな。私が納経帳を書いてもらって、寺を出ても、まだ読経が続いていた。彼の荷物にはマットみたいなのもくくりつけてあったので、野宿しながらまわっているんだろう。 |
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さて、今度は旅館への行き方がわからない。門前の大きな古い雑貨屋さんのような店で、おばあさんに道を聞く。これまた、丁寧に、年季の入った住宅地図を出してきて教えてくれる。 「よろずやさん」て感じなのだろうか、店の中の様子も趣があっていい感じ。あまりじろじろと眺めるわけにもいかなかったけど、こんなふうに道ひとつきくだけで、おもしろい経験ができる。 |
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16:00 | 旅館着 | おかげで迷わずつけて、だいたい予定どおりの時間にチェックイン。すぐに風呂に入る。旅館のすべての調度は30〜40年前のもの、いや、もっと?というくらい年季がはいっている。笑っちゃうくらいボロい。お遍路でもなきゃこんなところに絶対泊まらないだろうなあ。こたつがあって、ふとんはすでにひいてある。トイレはもちろん和式で水洗ではあるが、タンクから下がった鎖をひっぱる方式(子供の頃住んでた家がこうだったな)、うまく流れない。1泊2食6500円の宿のレベルというのはこういうものなのかと覚悟する。 でも、宿のおかみさん、だんなさんは感じいい。洗濯物があれば「お接待」でしますから出してください。といってくれる。(ださなかったけど) |
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18:00 | 夕食 | 食事は部屋に持ってきてくれる。おさしみとエビフライとうどんもついて、想像以上に豪華。昼食とはうってかわって、心地よい疲れと風呂上りのさっぱりした気分で「しあわせ〜」といいつつ、おいしくいただいた。 |
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今日はまだ一日目で、四国の土地に自分がまだ馴染んでいない、「お遍路している自分」にもまだ実感がわかず、ギクシャクぎこちないところがある感じ。でも、少しずつ、しっくりしてくるのだろう。 本当はもう眠たいのだけれども、早く寝すぎると夜中に起きてしまいそうなので、こらえて9時ごろ就寝。 |
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(本日の歩行距離:10km弱) | |||||
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