お遍路に行くまで



そもそも私がお遍路に憧れを持ちはじめたのは、15年以上も前のことだった。

当時わたしは、短大生であったが、毎週土日に鎌倉(実家の埼玉から2時間かけて)の円覚寺で坐禅をしていた。(この話はいつかまた詳しく書きますね。) 特定の宗教の信者ではないし、家がお寺だとか、何か究明すべき問題があったとか、そういうことは全然なくて、とにかく仏教全般に心惹かれるものがあった。

「信仰」というほど純粋ではない、「学問」というほど難しく考えていない。なんかわかんないけどとにかく抹香くさいことが好きで好きでたまらない、へんなヤツだったのである。もちろん今も「神社仏閣大好き人間」であることには変わりない。

普通の人は、寺や坊主やお経なんて、葬式の時くらいにしか出会わないから、縁起の悪い、暗いイメージがあるのかもしれないけど、私には、お経も線香の匂いも、「青春の懐かしい思い出」って感じなのである。

そんなころ雑誌「太陽」のお遍路の特集の号を見た。瀬戸内寂聴尼の「幼い頃、春は巡礼の鈴の音が運んでくるものだと思い込んでいた。」ではじまるエッセイや、白装束に身を固め、ひたむきに祈るおへんろたちの写真にが心に残った。このときから「いつかお遍路に行きたい」と思うようになった。

その後わたしは社会人になり、すっかり俗物になってしまい(テニスだスキーだゴルフだ、遊ぶことに忙しく)、札所巡りのために長い休暇をとることなど考えられなかった。行けることがあるとしても、それは「老後」だろうなあ、と漠然と思っていた。






そんな私に思いがけず早く、お遍路に行く絶好のチャンスが訪れた。

昨年病気をして、まあだいたいそれがきっかけで(ほんとはそれだけじゃないんだけど)会社を辞めて、今はいちおう「療養中」の身だけど体に不調はないし、子どももいないし、経済的にもその程度の余裕はある(がん保険入ってたお陰でお金には困らなかったの)。こりゃあ行くしかない、と思った。

それに一緒に行ってくれる道連れもいたことが、実行に移す原動力になった。母と、義母(夫の母)である。私の母は、私が小さいときから定年近くまでずっと働いていて、日曜日しか休みがなく、平日に母と長旅をするというのはわたしの夢だった。でも、母が仕事を辞めて時間ができた最近では、母も体力にはあまり自信がなくなったのか、あまり出かけたがらなくなっていた。

母に行きたい気持があるのはわかっていたが、いざ誘っても、尻込みするのも目に見えていた。だからまず、夫の母の方に声をかけてみた。「お義母さん、四国にいきませんか?札所巡りに」と。夫の母は行動力のある人だから、すぐに「行きたいと思っていたの。行きましょう、行きましょう」ということになり、その場で行くことが決まった。

さてそれから、実の母のほうに電話すると、案の定「ええー。行きたいけど、歩けない。具合が悪くなったらこわい」などと、ぐじぐじ言うので、「癌になった人が2人も(私と義母のこと)行くっていってるのに、病気でもない人が何言ってんの?」と叱咤して、行くことにさせたのだった。

今回は、四国八十八ヶ所札所のうち、徳島県の23ケ寺だけをまわる伊予鉄道 の「阿波一国参り」のバスツアーに参加しすることにした。バスで回るなんて邪道、歩かなければお遍路の本当の良さは味わえないと言う人もいるかもしれないが、とにかく「行かないよりは行く方がまし」である。



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